「女として生きる」ことは本当に幸せになれるのか?

こんにちは。
男女関係改善心理学「美人の教室」
塾長 恵りょう子です。
※このブログは、悪化した男女関係を改善したい「女性」へ向けたブログになります。
男女関係を改善する事に重きを置いた発言が含まれるブログになりますので、読み進める進めないは、ご自身のご判断でお願いいたしますm(_ _)m
男女関係を継続していくと、女性には転機が訪れます。
「結婚・出産」というものです。
結婚すると、今までの気軽な独身同士の男女関係とは違い、責任を背負う事も多くなってきます。
今までは、自分の事だけを考えてても何も言われなかったのが、家族である夫の体面なども考えて動くようになったりします。
出産となると、「少女→大人の女性→母親」という順番で役割が変わってゆきます。
女性は母親になると「母親」に専念する方も多いです。
しかし、中には…結婚して夫を持っても、子供を産んで母親になっても「女として生きたい」と願う方もいらっしゃいます。
「女として…。」
奥の深い言葉です。
- 既婚者である前に女
- 母親である前に女
「女として生きる」この言葉の捉え方には個人差があると思います。
『結婚しているのに、子供もいるのに「女として生きたい」なんて、何を考えているんだ?!』という見方も世の中ではあるでしょう。
『「女として生きる」なら、家庭を持つ事を諦め、子供を持つ事も諦めた方がいい。』という意見を持つ方もいらっしゃるでしょう。
『「女として生きる」為に何かを犠牲にしなければならない…。』と考える方も少なくありません。
その逆で…
『「女として生きる」選択をしない事で、本当に欲しい物を捨ててしまう事になるのではないか?』と考える方もいらっしゃるでしょう。
中には、
最初から「私は女として生きる」と決めていて、結婚や出産に興味のない方もいらっしゃるかもしれません。
「女として生きる」事に「女の幸せ」がどう関係しているのか?
「女として生きる」という事は、本当に何かを犠牲にしないとならないのか?
「女として生きる」事を選択しないのは、「本当に欲しい物」を捨てることになるのか?
今日のブログは、「女として生きる」を掘り下げてみようと思います。
最後まで、よろしくお願いいたしますm(_ _)m
「女として生きる」とは何なのか?
⑴ 「女」を論理的に考える
論理的とは…
論理にかなっていること。
理詰めに考える態度であるさま。
「女として生きる」この言葉をシンプルに聞こえたままを受け取ると…
そもそも、私たち「女」は性別的に「女」であって、性転換して戸籍を変えない限り「女」として一生を送るわけです。
「女」に生まれたという事は、一生「女」であって、それ以外の何者でもありません。
たとえ、口では「私は男だ!」と豪語していても、性別的に「女」である以上、「女」は「女」なわけです。
それを…わざわざ「女として生きたい」というのは、どういう事なのでしょうか?
「女」に生まれたとはいえ「女」として人生を送れない女性がこの世の中にいるのでしょうか?
論理的に考えると、「女」に生まれたのなら「女」として一生を送る…というのがシンプルに分かりやすいでしょう。
(この意見は、「論理的というよりは物理的」と考える方も多いかもしれません。)
⑵「女」を理論的に考える
理論的とは…
個々の現象や事実を一つにまとめて説明するために、筋道を立てること。
「女として生きたい」と願う女性の多くは「女」という性別に生まれたから、一生「女」として生きる…という意味ではなく、
「女」という性別に生まれたからには、「男性から愛されて、可愛がられる人生を送りたい。」と考えていることが多数だと考えます。
「男性のいない人生はつまらない」そう考える女性も多いです。
男性の「男としての生き方」は、社会的に勝ち組を目指す生き方なのに対して、
女性の「女としての生き方」とは、男性からの愛情を我が物にして生活をする生き方を指します。
女性が男性に比べて、比較的、社会的地位よりも「愛情」の方に重きをおいている現れなのでしょう。
女性は男性に比べると「愛情」への執着がひときわ大きい生き物という見方ができます。
男性に比べると「愛されたい」と願いが大きく、「愛される事へ価値」を非常に気にするのが女性です。
男性も「愛されたい」と願う事はあるとは思いますが、女性と比較されてしまうと、愛よりは「社会進出」の方に重きを置きがちなのが男性です。
やはり、そういった点でも、女性は男性に比べると「愛情」を求めたい生き物なのでしょう。
「女として生きる」を選択する女性の中には「一生恋愛」を希望する方も多いですね。
愛する人と一生一緒にいて、すったもんだの恋愛劇を繰り広げたいと願う方も多いのも事実です。
男性が重視する点とは…
- 学ぶ力
- 社会を生き抜く力
女性が重視する点とは…
- 触れ合い
- 関係良好
- 分かち合い
- コミュニケーション
男性と女性では、そもそも、重視する点が違うのね。
恵 りょう子
「女として生きる」為に必要な事・不要な事があるのか?
「女として生きる」事について、必要な事と不要な事について考えてゆきましょう。
そもそも、「女として生きる」事に必要・不要な物なんかあるのでしょうか?
⑴「女として生きる」為に必要な事
「女として生きる」為に必要な事について考えてゆきましょう。
「女として生きる」という事を実現するには、男性からの愛情をたくさん受けて生活をしていく必要があります。
その為には「女性」としての「可愛らしさ」や「女らしさ」というものが必要になってくるはずです。
表面的な「女性」ならではの「表情・仕草」も必要になってきますし、
内面的な「女性」ならではの「きめ細やかさ」「気遣い」なども必要になってきます。
「女として生きる」為には、男性から大事にしてもらい、可愛がってもらえる為に必要不可欠な「女の武器」を磨き上げる必要があります。
必然的に「女として生きる」為には「女の武器」を磨き上げる必要があり。
それは「女として生きたい女性」にとっては、とても大事で必須事項になります。
⑵「女として生きる」為に不要な事
「女の武器」を磨き上げる事が必要な事なのであれば、その逆の事が、「女として生きたい女性」にとっては不要なものになります。
- 男性から嫌われる事
- 男性から疎まれる事
- 男性を怒らせてしまう事
- 男性から愛情を喪失させてしまう事
これらの事は、「女として生きたい女性」にとっては、最も、不要なものになります。
男性から大事にされて、愛された生活をしたいのに…
男性から疎まれて、男性から愛情を喪失させてしまうような事は「女として生きたい女性」にとっては、決してあってはならない事です。
男女関係のトラブルの原因になりがちな…
- お試し行動
- 信頼をしない接し方
- 過剰なお世話
- 期待のかけすぎ
これらの事は、最も、「女として生きたい女性」にとっては、不要な物になります。
いくら、時々、性生活があったとしても、トラブルの多い男女関係では「女として生きる」という目的が達成できない可能性が高くなります。
性生活だけではなく、「心を満たされたい」と願いは、男女関係の醍醐味ですからね。
それが無いとなると…「何の為に一緒にいるのか?」疑問に感じてき始めるのも男女関係だったりします。
「女として生きたい女性」にとっては、彼との関係を裂いてしまうような事は全てにおいて不要なものになります。
「女として生きる」得と損と落とし穴。
男女関係の話を「損得」で勘定するのは、私は個人的に好きではありませんが、
やはり、「女として生きる」を選択した事で、「得な事」と「損な事」が浮き彫りになってきます。
「落とし穴」も出てきます。
⑴ 「女として生きる」事で得する事。
「女として生きる」事で得をする事をシンプルに考えていけば…
- 男性からの無条件の愛情・信頼
- 心が満たされた充実した環境
- 好きな男性の子供を産み・育てる
このような「得点」がついてきます。
自分が納得して選んだ「男性」との未来を平和に幸福に進める事が出来るのもまた、「女として生きる」事の選択の醍醐味でしょう。
女性であれば、愛する男性との未来を夢見るのは、ごくごく自然で、おかしな事ではありません。
その夢見た世界が、永遠に続いて欲しいと願うのもまた、「女として生きる」事の醍醐味でしょう。
「女として生きる」事を選択した事で「心身共に充実した環境」を得る事が、得と言えます。
⑵「女として生きる」事で損する事。
「女として生きる」事で損をする事といえば…社会進出が少しおろそかになってしまう事位でしょうか。
あなた自身が考える「社会進出」がどの程度の進出なのかにもよりますが…。
「女として生きる」事に専念した生活を送って行くと、自然と、「女として生きる生活」以外の事に目が向かなくなる傾向にあります。
- 仕事は結婚前までの腰掛
- 仕事は生活費のために仕方なくしている
他にも…
主婦の方なら「家事は家族のために仕方なくしている」とか、
自営業者でも「恋愛をすると仕事に身が入らなくなる」とか。
恋人もおらず、フリーの時は仕事が楽しくて一生懸命していたけれど、恋人ができた途端に仕事がナァナァになってしまう…という方もいらっしゃいます。
このように「社会進出が少しおろそか」になってしまうという損な部分もあります。
もちろん、社会進出がおろそかになる事をあなた自身が「損」と思っていなければ別ですが、
「女として生きすぎた」おかげで、社会から取り残されてしまい、やりたかった事や、本来なら出来た事が出来ない…という状況に陥る事もあります。
- する事が思いつかず無趣味
という女性も比較的、多い傾向にあります。
無趣味でも、仕事がソコソコでも、それが「幸福」と納得した生活を送っている場合は問題ありませんけどね。
⑶「女として生きる」事の落とし穴。
「女として生きる」というのは愛情がたくさんあって、とても充実していて、心が満たされる環境を手に入れる事を夢見がちなのですが、
中には、作家尾崎紅葉が書いた小説「金色夜叉」の「貫一お宮」のようなドロドロの男女関係こそ「女として生きる」事だと思う女性もいらっしゃいます。
そのため、生活と恋愛を分けて考える方も多く、結婚するなら〇〇さん、恋愛するなら△△さん、という具合に分けている事も多いです。
なので、「不倫」「浮気」に走ってしまう事こそ「女として生きる事の醍醐味」と考えている方もいらっしゃいます。
「女として生きる」という事を「性生活」に重きをおいて考えている女性も少なくありません。
誰かを傷つけながら、自分も傷ついた生活をする事を「女として生きる」と捉えている場合もあります。
そういう捉え方があるのも…理解は出来ますが「女として生きる女性」として考えた時に…誰かを傷つけながら、自分も傷つくような生活というのは、
「女として生きる」ことからは、外れてしまっている…別の世界なのではないか?という疑問も浮かびます。
「女として生きる」という選択には、各々の解釈・受け取り方もあると思いますが、「女性が女性らしく生きる」という事が基本なのだと思います。
なので、別世界になってくると、話が違ってくるのかな?と私は個人的に思います。
まとめ
私個人的には、論理的に考える人間なので…
「女として生きたい」というのは、黙って生きてても、性別が女であれば、女として生きれると思いますので、
「そんなに色々、難しく考えなくてもいいのではないか?」と思うわけですが、
私が個人的に思う「女性としての生き方」というのは、
- 愛情がたくさんある環境
- 自分の出来る事ができる環境
- 人から求められる環境
- 人から認められる環境
このような環境を手に入れられるような生き方かな?と思ったりします。
ですが、シンプルに考えて…このような生き方は、誰しも願う事であって、
女だから、男だからという枠を作らなくてもいいものだったりします。
美人の教室にいらっしゃる男女関係のお悩みをお持ちの女性の多くが、「女として生きたい」という事をよくおっしゃいますが、
私の個人的な見解をいうと、「自分の欲しい環境を手に入れられていない方」のセリフかな…と思ったりします。
- 彼との関係が悪化する一方
- 彼との価値観が合わなくて関係維持を苦戦している
- 夫との生活に嫌気がさし不倫をする
このように…「自分の欲しい環境」が手に入らない事で、
「女として生きたい」という願望が「性的な物に変換されて」出てくる傾向にあるのではないかと私は個人的に思っています。
「女として生きたい」とう願望が「性的なもの」になってしまうと、
それは、「女性としての生き方」云々の話というよりは、性的逸脱をさせてしまうあなた自身の人格・パーソナルの問題にすり替わってしまうのではないかと考えています。
美人の教室では「女として生きる」というのは、
- 触れ合って
- 分かち合って
- コミュニケーションをとる
このような「愛情の深い関係」を求める時に使う言葉なのだと位置付けています。
なので、やはり…
美人の教室が位置付けする「女として生きる」事で大事なことは、
男性が愛してやまない女性が持つ「女の武器」を磨き上げていく事が大事だと考えます。
「女として生きる」んだったら、やはり、あなた自身が「幸福・満足」を感じないと…
「何の為に女として生きてるんだ?」となってしまうと、寂しい生活になってしまいますからね。
「女として生きたい」と願う方は、しっかり「女性としての幸福」を掴む事を意識して発言・行動していく事を美人の教室ではお伝えしています。
追記…
「女として生きる」事の判断基準は人それぞれなので、一概に「これが正しい」とは言えない部分もありますが、
世の中には、「仕事も順調・家庭も順調・友人関係も順調」というような「順調な人」というのがいらっしゃいます。
人間誰しも100%とまではいかなくとも、全体的に見た時に「うん!私、今、順調!」という人は大勢いらっしゃいます。
「女として生きる」を選択した時に「何かを捨てなければならない」と考える方が多い傾向にありますが、
仕事も恋愛も家庭も、何も捨てなくても、共存していく事はできます。
ただ、不倫などになると話が別になるので、不倫・浮気は該当しません。
男女の交際が長くなってくると…
- 魅力的だった彼が今は、薄ぼけて見える…
- 隣のご主人がかっこよく見える…
- 慣れすぎて男として見れない…
こういう問題が出てくる場合がありますが、
彼を「男として見れない」「魅力を感じない」と思ったとしても、
「性的なもの」だけが、彼の魅力ではないと思いますし、
- 愛情がたくさんある環境
- 自分の出来る事ができる環境
- 彼から求められる環境
- 彼から認められる環境
このような環境があるならば、「女として生きる」事は十分にできると思います。
さすがに彼への愛情がなくなってしまったら…それは、お別れするのがいいかもしれませんけどね。
世の中には、性生活がなくなってしまった夫婦の方が「仲良し」という統計もあるほどですから。
精神的な繋がりができる男女関係もまた、いいと思います。
「女として生きたい」と願ったばっかりに…相手を傷つけて、自分も傷つけてしまう結果を招くのは勿体無いです。
「女としての生き方」を意識して「女っぷり」を上げていく事が大事です。
「女っぷり」をあげるには「笑顔」でいる事が一番です。
【恵りょう子のYouTube講座】
準備中
本日も最後まで、ありがとうございましたm(_ _)m
また、書きます♪( ´▽`)